バーバラ・ウッドヘッド・ウィンダー

2 May 2019

第11代中央
扶助協会会長

1984-1990年

バーバラ・W・ウインダーは,第11代中央扶助協会会長に召されたとき,次のように述べた。「わたしは皆が一致団結し,神権者と協力し,今日ここに神の王国を建設するために働き,福音をとても必要としている人々にその喜びを伝えることができるよう切に望んでいます。これは神の王国です。わたしたちにはそれを分かち合う大きな責任があります。」1

1970年代に起きた男女平等憲法修正案をめぐる議論で,合衆国の女性は二分した。1980年代にはもう少し寛大さが生じた。「今度は癒しを得る時です」とウインダー姉妹は言った。「女性と女性,女性と男性のきずなを作る時です。多様でありながら一致し,一致しながらも多様でいることはできます。姉妹同士愛し合うのに,互いに似通っていなければならないということはありません。」2

バーバラは若い時の経験から,扶助協会の家庭訪問の価値と,家庭訪問が奉仕し合うことを強調していることで人々の生活に祝福をもたらすことを知っていた。彼女が結婚して11か月たったときに最初の子供が生まれた。バーバラはこう振り返る。「赤ちゃんを連れて家に帰って来た翌日,わたしはとても高い熱を出しました。リチャードは会社に行っていました。うちには車も電話もなくて,わたしは不安に駆られました。」幸いにもバーバラの訪問教師が立ち寄り,必要な助けを提供できた。3

ウインダー姉妹はこのように教えている。「どの姉妹にも訪問教師がいることが重要です。つまり自分が必要とされていて,だれかが愛と関心を持っていると感じさせてくれる人が必要なのです。しかし,訪問教師自身にとっても慈愛をはぐくむよい方法であるということも同様に大切な点です。女性に家庭訪問をするよう割り当てることは,人生で最も大いなる祝福であるキリストの純粋な愛を養う機会を与えることなのです。」4

幼少時代

バーバラ・ウッドヘッドは1931年5月9日,ユタ州ミッドベールでマルゲリット・ハンド・ウッドヘッドとウィラード・バール・ウッドヘッド夫妻のもとに生まれた。4人兄弟の最年長の子供だった。母親が働かねばならなかったため,バーバラは下の兄弟の子守をよくしていた。バーバラは両親から人を思いやることを学んだと言う。彼女が成長していくときに,両親が親戚を受け入れて面倒を見たからである。バーバラの両親は彼女が成人するまで教会にあまり活発ではなかったが,教会に行くように勧めたし,バーバラも行きたがった。彼女を教会に連れて行き,バプテスマを受ける手助けをしたのは初等協会の教師だった。5

結婚と家族

バーバラはユタ大学で家政学を学んでいるときにリチャード・ウィリアム・ウインダーと出会った。それから3週間もたたないうちに二人は婚約した。バーバラたちは1951年1月10日,ソルトレーク神殿で結婚した。ウインダー夫妻が4人の子供を育てたのと同じ通り沿いに19人のいとこが住んでいた。「互いに頼れることは大きな強みでした」と彼女は語っている。6ウインダー夫妻の2人目の子供,スーザン・W・タナーは第12代中央若い女性会長として奉仕した。

扶助協会の重要な働き

バーバラの在任中,若い女性と初等協会の中央執務室が扶助協会ビルに移転した。これらの補助組織はもはや個別ではなく,神権を通して一緒に活動し,教会の子供たち,若い女性,成人女性の必要を満たすことになる。各補助組織の会長が初めて一緒に海外に赴いた。状況が難しい場合,手紙や電話も家庭訪問の手段として用いることが認められた。

バーバラが中央会長から解任されたのは,夫が1990年から1993年まで,新しく開かれたチェコスロバキア・プラハ伝道部の会長に召されたときだった。ウインダー夫妻は家族歴史センター宣教師のリーダーとして奉仕した後,イリノイ州ノーブー神殿の初代会長およびメイトロンとして2002年から2004年まで奉仕した。