『彼女たちは証を宣べ,教えることができる 』

17 July 2017

イネス ・ナイトは,末日聖徒として伝道に召された最初の独身女性として,26か月にわたってイギリスで奉仕しました。ほとんどの場合は同僚がいましたが,ときには一人で働きました。

イギリス伝道部マンチェスター大会

イネス・ナイトは,ユタ州プロボ出身で,ブリガム・ヤング・アカデミーの学生でした。1898 年, 彼女と友人のジェニー・ブリムホールはヨーロッパに休暇旅行に行くことにしました。 イネスのきょうだいであり,ジェニーの婚約者でもあったウィル・ナイトは,イネスのもう一人のきょうだいであるレイ・ナイトと共にヨーロッパ伝道部で奉仕していました。 イネスとジェニーは,ヨーロッパへの旅で,ウィルとレイにも会え,観光もできることを楽しみにしていました。1

イネスとジェニーは最初にイギリスを訪れることにしたのですが,絶妙なタイミングで,この海外旅行がもっと大きな出来事に変わったのでした。

ちょうど 1 年前の1897年,ヨーロッパ伝道部の伝道部会長会は, 教会の管理役員に対して「女性宣教師」を送ってくれるよう要請しました。 1865年から末日聖徒の女性が伝道に召されるようになり,多くの女性が,公式な認可を受けることなく,祝福として,奉仕していました。 ほとんどが結婚した女性で,夫と共に伝道地に赴任していました。 ヨーロッパ伝道部が求めていたのは,「イギリスにおいて長老たちが耳を傾けてもらえないような場所でも,人々の注目を引くことができる」献身的な女性の宣教師でした。;2

合衆国での伝道部の指導者からも同じような訴えが寄せられ,1898年4月の総大会までに, 教会幹部がその要望を受け入れ,念入りに計画を検討しました。

総大会において「有能で,善を行うために出ていきたいと望む女性が,ふさわしい条件のもとで遣わされる機会は間違いなく訪れるでしょう」とジョージ・Q・キャノン管長が語りました。 「彼女たちは証を宣べ,教えることができます。パンフレットを配布し,主イエス・キリストの福音を広める助け手として,多くの偉大なことをなすことができます。3

このような状況にあって,ジェニーのビショップであったJ・B・ キーラーは,もしも彼女たちのヨーロッパ休暇旅行が主に仕える召しに変わったらどうだろうかというアイデアを提案しました。 ジェニーは,そのように求められれば奉仕しますと答えました。 キーラーはすぐに末日聖徒イエス・キリスト教会のウィルフォード・ウッドラフ大管長に要請書を書き,まもなく,彼女のステーク会長は,一通の手紙を受け取りました。そこにはイネス・ナイトとジェニー・ブリムホールを宣教師としてイギリスに召す権能を与えると記されていました。4

彼女たちにとっては驚くような召しだったかもしれません。伝道の申請書を提出したわけではなく,ほんの数か月の海外旅行に備えていただけだったのですから。 さらには,彼女たちにとって参考にできる先例もありませんでした。末日聖徒の宣教師として伝道するように召された独身女性はそれまで一人もいなかったからです。

どんな思いを抱いていようとも,彼女たちは召しを受け入れ,1989年4月1日に任命されました。 次の日, 彼女たちはリバプールに向けての長旅を始めました。 (イネスは,「プロボからスプリングビルまでの道中は泣いたが,その後はすっかり覚悟ができた」と書いています。) 彼女たちは正式な訓練はまったく受けていませんでした。イネスの 日記 には,現在のような宣教師の厳しいルールについてはまったく触れられていません。 イネスとジェニーは冒険に出かけようとしていました。きちんとした形式には則っていませんでしたが,彼らの開拓者としての経験は,その後何世代にもわたって末日聖徒の女性たちが従うことになる規範となりました。

ジェニー ・ブリムホールは,病気のために数か月後ユタに戻りましたが,イネスは26か月の間,イギリスで奉仕しました。ほとんどの場合は同僚がいましたが,時には一人で働きました。5 当初, イネスは伝道が「楽しい旅よりもはるかに大きな意味を持つこと」となかなか考えられませんでした。6 しかし, 数年後,彼女たちが伝道した当時のヨーロッパ伝道部の会長会の一人が,イギリスで働いた「女性宣教師」の働きは「あらゆる面で満足のいくものだった」と報告しています。

「彼女たちの一人が福音の真理について証したり,ユタの姉妹たちについて話したり,モルモンの女性たちを擁護したりするのを聞かせてもらうたびに,男性が語るどんな言葉よりもはるかに説得力があると感じました。 ……多くの善良な姉妹たちが効果的な宣教師の業を果たせる場が残されています。わたしはそう確信しています。」7

イネス ・ナイト, ジェニー ・ブリムホール