同時代のその他の記録

ジョセフ・スミス自身による最初の示現の記録に加え,ジョセフ・スミスが示現について話すのを聞いた同時代の5人の人々も記録を残しています。それらの記録はこちらからお読みいただけます。

オーソン・プラット,An Interesting Account(1840年)

オーソン・プラットの記録について

長年にわたり,大勢の人が,ジョセフ・スミスが示現を受けたときの経験について語るのを耳にしました。一部の人は,自分の書簡の中で,あるいは話の中で思い出して,簡潔に言及しました。ジョセフの生存中に,より詳しい記述を記録した人もいました。

十二使徒定員会のオーソン・プラットは,1840年にスコットランドのエディンバラで,神会にまつわるジョセフの最初の示現の記録を記し,このパンフレットに掲載しました。これは,最も初期に出版された記録となります。プラットは1835年に23歳で十二使徒に召されていました。プラットはジョセフとともに教会指導者の集会に参加し,預言者に同行し,ジョセフが1839年にペンシルベニア州とニュージャージー州で行った演説に出席しました。

オーソン・ハイドの1842年のパンフレット

オーソン・ハイドのパンフレットについて

十二使徒定員会のオーソン・ハイドは,1842年にドイツのフランクフルトで,このジョセフ・スミスの初期の示現についての記録を出版しました。オーソン・ハイドは,ヨーロッパ全土のユダヤ人に教えを説き,散らされたユダの部族の残りの者たちの集合の地として聖地を奉献した後に合衆国に帰る途中,ドイツに立ち寄りました。ハイドは,プラットのInteresting Account(『興味深い記録』)を大幅に参考にしながら英語で文章を書き,ドイツ語に訳してEin Ruf aus der Wüsteという題名で出版しました。この題名は「荒野で呼ばわる声」という意味です。

リーヴァイ・リチャーズの日記(1843年)

リーヴァイ・リチャーズの日記について

1843年6月11日の公式な教会の集会で,ジョセフ・スミスが初めて受けた示現について語った後,リーヴァイ・リチャーズはその話を自分の日記にしたためました。

デビッド・ナイ・ホワイトの取材(1843年)

デビッド・ナイ・ホワイトの取材について

1843年8月,Pittsburgh Weekly Gazette(「ピッツバーグ・ウィークリーガゼット」)紙の編集者であるデビッド・ナイ・ホワイトは,イリノイ州ノーブーに2日間滞在している間に,自宅にいるジョセフ・スミスを取材しました。ホワイトのニュース記事には,ジョセフ・スミスの最初の示現の話が含まれていました。

アレクサンダー・ネイバーの日記(1844年)

アレクサンダー・ネイバーの日記について

1844年5月24日,ドイツ移民の教会員,アレクサンダー・ネイバーはジョセフ・スミスの自宅を訪れ,ジョセフが最初に示現を受けた際の状況を語るのを聞きました。