回復の預言者

ゴードン・B・ヒンクレー

経歴

ユタ州ソルトレーク・シティーで,ブライアント・S・ヒンクレーとエイダ・ピトナー夫妻のもとに生まれる。


父親によってバプテスマを受ける。集会所のバプテスマフォントでバプテスマを受けた最初の預言者である。


英語とジャーナリズムを学び,ユタ大学を卒業する。


組織されたばかりの,教会のラジオ・広報・伝道文書委員会の幹部書記として雇われる。


ソルトレーク神殿でマージョリー・ペイと結婚する。


アレルギーが原因で海軍に入隊できなかったため,鉄道関連産業で働くことにより第二次世界大戦に貢献する。


ミルクリーク東ステークのステーク会長会顧問に召される。


中央宣教師管理委員会の一員を務めているとき,統一された宣教師のレッスンの導入を助ける。


神殿の儀式で使用される最初の映画の製作を監督し、スイスのベルン神殿で多言語で利用できるよう追加録音する。


ミルクリーク東ステークのステーク会長に召される。


十二使徒補助として支持される。


デビッド・O・マッケイ大管長によって使徒に聖任される。


マージョリー夫人を伴い,使徒として初めてアジアを訪問する。また,その後何度も訪れる。


サンフランシスコにおいて,日本の昭和天皇に拝謁する。


神権に関するキンボール大管長の啓示について,十二使徒が確認を受けた集会に出席する。


教会の150周年の記念式典の衛星放送において,教会が設立されたニューヨーク州フェイエットで声明文を読む。


スペンサー・W・キンボール大管長の3人目の顧問として召され,キンボール大管長と二人の顧問を助ける。


大管長会第二顧問に召される。


1985年11月10日

エズラ・タフト・ベンソン大管長の第一顧問に召される。


ハワード・W・ハンター大管長の第一顧問に召される。


中央扶助協会集会の中で「家族―世界の宣言」を発表する。


マイク・ウォレス氏が司会するCBSの番組“60minutes”に出演する。


メキシコ,フィリピン,アジア,ヨーロッパ,アメリカ合衆国の聖徒を訪れる。


中国香港神殿を奉献する。この神殿を筆頭に,在任中に70以上の神殿を奉献する。


教会が世界各地で行っている人道支援活動をさらに拡大するために,LDS慈善事業団を設立したことを発表する。


中央アメリカ,南アメリカ,オーストラリア,太平洋沿岸の聖徒たちを訪れる。


新たに3つの七十人定員会を組織する。


適切な地域に小規模神殿を設立する計画について発表する。


アフリカ,カナダ,および世界中の聖徒を訪問する。


負債の増加に対して警告する。


新会員がもっとよく溶け込むのを助けるよう教会全体に呼びかける。


ニューヨーク州パルマイラ神殿を奉献する。


特別なファイヤサイドで教会の若人のために祈りをささげる。


冬季オリンピックの開催中,世界各地からソルトレーク・シティーを訪れた人々を歓迎する。


イリノイ州ノーブー神殿を奉献する。


ロシアとウクライナの聖徒を訪れる。


初めての世界指導者訓練集会放送で,地元の指導者に向けて語る。


初等協会設立125周年を記念する衛星放送において,初等協会の子供100万人に向けて話す。


2004年4月6日

マージョリー・ペイ・ヒンクレーの死。


95歳の誕生日を記念し,カンファレンスセンターで特別プログラムが催される。


アジアとアフリカの聖徒たちを訪れる。これが最後の大きな海外訪問となる。


人生初の入院をする。


2007年3月12日

顧問のモンソン大管長とファウスト管長とともに12年間奉仕する。彼らは教会歴史上,最も長く奉仕した大管長会である。


教会員の数が1300万人を超え,教会が組織されてから100万人目の宣教師が派遣されたことを発表する。


2007年10月6日

怒るに遅くあるよう教会員に強く勧める。


ユタ州ソルトレーク・シティーにて死去する。